「二者択一」から

今迄のワタシは


「白」か「黒」か

「やる」か「やらない」か

「内」か「外」か


「味方」か「敵」か

「受け入れる」か「拒絶」か

「好き」か「嫌い」か


人生「二者択一」。


生きにくかったのは、

その為だった。


だけど、困難を乗り越えるたびに、

選択肢が増えてきた。


そう思うと、

辛いことも、苦しいことも、

嘆いたり、

悲観するものでもないか。


生きる中で「選択肢」が多いほうが

断然「楽」である事に

気が付いた。


「二者択一」から。。。

別の道も多くある。


そして、常に「選んでいる」のは

「ワタシ」である。

「娘」の人生「ワタシ」の人生

「娘」は「娘」であり

「ワタシ」ではない。


「娘」が出来る事、出来ない事は

「ワタシ」が出来る事、出来ない事ではない。


「娘」の人生、それに関する選択は

「娘」のものであり「ワタシ」のものではない。


だから、、、ワタシは

「自分」の人生を生きようよ。


でも、ワタシが、そう生きて来れなかったから、、、

自分の人生の生き方が わからない。


ワタシの人生の中に、母の人生があったから、、、


母のやりたかった事がワタシのやる事。

ワタシのやりたかった事が娘のやる事。


そうやって、今迄生きて来た。


でも、これは違う。

ワタシは「気付いた」のだから

「娘の人生は娘のもの」だと。。。

そして、

「ワタシの人生はワタシのもの」だと。。。


今更だけど、、、

ゴメンね。あーちゃん。


我が家系の母娘の「業」は、

ワタシか浄化しなければならない。




「出来ない」のに「出来る」ふり

その姿、その目を見ていると

「ワタシがやらなきゃ!!」と思ったり

「お願いします♪」と頼まれたら断れ無くて

それで、やる事だらけになって。。。


休んでいる訳でも無く、

勿論、怠けている訳でも無く、

一日中 考えたり、動き回っているのに

結局 上手くいかなくて

と言うより

自分で納得出来なくて

雁字搦めで、疲れ果ててしまう。


「出来る事」と「出来ない事」が分かっていない自分に気付き

「出来ない事」は「能力が無い」様に思っていて。。。

とにかく、頑張り続けてた。


「出来ない」のに「出来る」ふりをしていたワタシへ


「出来ない」のでは無く

それは人に「任せるれば良い事」であり

「出来ない」事が「能力の無い」事では無いんだよ。


って。。。ようやく気が付いた。





「急がば回れ」

足りないものが「何」か?

分かっているのだけど

いつも近道して「それ」を得ようとするから

手に入らない。


見えているのに、

近道のつもりが、逆に遠回りになって

何時迄たっても辿り着かない。


「急がば回れ」

ワタシの人生、まだまだ先は

長いはず。

ジレンマ

見るもの、聴くもの、全てから

何かを教えられている様で

頭の中を「思考」がグルグル駆け巡る。


「気付いている」のに「変わらない」自分に苛立ちを感じる。


「思う様に」進まない人生にようやく気付き、

「原因」も「解決」も自分の中にあるとわかったのに、、、


やり方が わからない。

アレコレと試してみても

上手くいかない。


頑張らなくても良い

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自分が、自分が と、

頑張らなくても良い。


周りを見れば、自分以外の人で

世の中は成り立っている。


だから、自分でなければ とか

自分がやらなくては とか

必要以上に思わなくて良い。


悲鳴をあげている『自分』を

『自』ら『分』かろうよ。

ワタシ。

今の『世』に想うこと

今、私が生きている この時代

平和も、豊かさも、何気ない日常すべてが

過去の辛く、壮絶な戦いの上に生きた人々により

成り立っているという事を

忘れてはいけない

 

今、私が生きている この時代

日常の不愉快な思いや不満なんか

本当に「ちっぽけ」なもので

今の『世』に生きることが出来る事を

幸せに想い

一生懸命に生きなければいけないと

 

。。。終戦を迎える日には いつも想うのです。