一人娘である理由
私は三人姉妹の長女。
子供の頃の記憶はあまりない。
ただ、小さな町工場をしていた両親に代わって
妹たちの世話や家の事を手伝っていた。一生懸命に。
母から強いられた訳ではないけれど。
褒められたくて、必要とされていたくて、
先回り先回りして、母にとって何をすれば喜ばれるのか?
いつも考えていた。
父も母も若かったから、必死で生きて私たちを育ててたんだろうなぁ。。。
今ならそう思える。
でも、昔の私は違っていて
・長女である私は、家に残り親の跡を継ぐ=親の助けをする(全てにおいて)
・次女である妹は、いずれ外に出るので自由に行動する=責任も自分でとる(全てにおいて)
・三女である妹は、私と7歳違い、親のかわいがり様も半端ではなかった。
とにかく好きにさせる=親が面倒を見る(全てにおいて)
こんな風に『無言の役割』が決まっているように思え「反すること」はまるで「罪」のような意識であり雁字搦めだった。
この(全てにおいて)と言うものが結構厄介で、行動、金銭面etc、、、を含み
選択権は自分に無かった気がする。マインドコントロールだろうな。。。なぁ~んて。
どんなだったかは、、、まだ書けない。
でもキリキリに「縛られた私」であったことは事実。
母の愛情も、その役割に比例したものがあるように思っていて、
その愛情が欲しいが為に、一生懸命だったし、辛かった。
「無償の愛」では無かった気がしていた。。。
なので、そんな思いで大人になり、娘が生まれ、自分が「母」になった時
怖かった。「無償の愛」が与えられるか??
役割があって果たすからの「愛情」であると思っていたので
一生懸命で、辛い私がいたから
その役割が分けられないように、自分の中で「子供は一人」と決めた。
表向きは「仕事したいから」とか「一人を大切に育てたいから」とか言って。
これが「一人娘である理由」。
でも、父が亡くなり、母も歳をとり(と言っても、まだ68歳。バリバリですが)
私も娘を育てる中で、私の中の「小さな私」が育っていき
私の中の問題も、父が亡くなる事によって教えてくれ、
その「業」も全て持って亡くなっていったようで。。。
(こんな事書くと、すごく立派な父のようですが
実は違うんです。。と言うのも変かな??でも大変だったし。。。
これまた、今はまだ書けませんが。。。(気持ちの整理が不十分なので))
今は「一人娘である理由」が私の中で消化できた様なので
もう一人子供がいても良いなぁ。。と思えるようになりました。
(遅いんですけどね。。)